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退職代行 あなたが真面目だからこそ・・・
おはようございます。夏休みがおわって現実に引き戻されています。
ちょうどこの夏休みには退職代行の相談がありました。
自分で辞めることを言えないのは軟弱でしょうか?私はそう考えない者のひとりです。
彼女は入社してすぐの研修中、たったひとりで店先に立つ日々でした。「トイレは行かれないので飲物は控えた方が仕事しやすい」との先輩からのアドバイスを受け、真面目にそれを守っていたそうでした。朝7時から夕方5時まで1度もトイレにいけないことが何度もあり、昼ごはんは裏にしゃがみ込みおにぎりを詰め込んだ。そんなものだと思いながら毎日頑張っていたそうです。私は勤務中にひとときも休めないなんてと驚きましたがさらに驚いたのにはここは有名な大企業で、なぜこのような会社がワンオペで?2人体制は最低限でしょう?と、とても不安な気持ちになりました。働いて半年程たった頃、具合が急に悪くなり少し早退をと店長にグループLINEで申し出たとき「つかえない」と言われたことで彼女のはっていた気力が全て失われてしまったとのことでした。毎晩深夜までに及ぶグループLINEでの業務連絡は嫌でも付き合うしかないと思っていたけど、自分の休みの交替は自分で探すスタイルのこのグループLINEで「つかえない」と書かれたのを見た瞬間震えがとまらなくなり「申し訳ありません」と一言返答したあとはもうLINEが怖くて見られなくなったということでした。人を簡単に傷つけるのは何よりも「言葉」なのだというのがとてもよくわかるエピソードでした。
「言い返せばいい」「店長でなく本社に言えばいい」「言うこと聞かなきゃいい」「気にすることない」なんて意見は心が壊れる前の段階ならば効果があるかも知れません。ですが、震えるほどに疲弊した人にそんな正論は追い詰めるだけのものになるのではないでしょうか。真面目で誠実な彼女だからこそギリギリまで頑張りやがてどうにもならなくなったのです。こわくて見られないというその後の未読のLINEを私に見せて辞めたいとはっきり言えた彼女は頑張りました。読み終えたグループでのLINEはもう消したらどうですかとアドバイスし、念の為に今までのやりとりはスクショにて保存しておきました。そして「ここからは粛々といきましょう!」と、速やかに退職の意思表示を送付しました。その後、制服などお返しするものは全て宅配便で、こちらが受け取るものについては返信用レターパックを同封するなどしてことはスムーズに進みました。
それにしてもSNSは便利ではありますが、真意でなくとも瞬時に勢いで軽率な発言が送信出来てしまうという恐ろしいものでもあります。なおかつ取り返しがきかないものだと考えさせられる事件でした。
あらためて、退職を代行してもらいたいときの理由はさまざまです。
恐くて言えない、腹がたち過ぎて言えない、精神的・肉体的に無理で言えない、言っても聞いてもらえない…などなど
というわけで、まだご自分で言える力があるときのご相談もお力になれるかもしれません。少しの不安が大きくならないうちにお越しください。
遺言は愛です
大袈裟なタイトルでおはようございます。
遺言という言葉は誰もが知っていますが、実は日本では遺言書の作成はお亡くなりになられた方のたった1割程度という統計です。英国では、中世には遺言をせずに亡くなると「魂の救済を受けずに死亡することとみなされて聖地への埋葬ができず財産は領主に没収される」という扱いを受けたそうで、その影響からか現在でも55歳までに64%が遺言書を作成しているとのことです。
私は「遺言」は「愛」だと考えています。愛する者たちに死後トラブルを残すなんてことはしたくありません。それと同時に思いや願いを記すことで愛を伝えることが出来るのです。そうはいっても遺言すれば全てが出来る訳ではなく、その内容には実現出来ないものも勿論あります。例えば、「きょうだい仲よく支え合いなさい」とか、「配偶者のお墓ではなく実家のお墓に入りたい」という場合があるとします。きょうだい仲良くと言われても仲が悪い場合もあるでしょう。それでも遺言を知りこれからは仲よくしようと思うことだってあると思います。お墓に関しては、日本は「配偶者は必ず同じ墓にはいらなければならない」という規定はありませんので法的には可能です。ですが、厳密な法的拘束力が弱いです。あくまでも強い希望というものになります。ではどうするか、これを死後に実現してもらうためにお墓を承継する人や家族、配偶者の理解、さらには遺言執行者を選任しておくことが重要になります。なかなか言い出しずらいものでもありますが生前に理解してもらうように意思表示する根回しが必要になります。そうしたこと整えておくことで実現度がさらに大きくなるわけです。
いずれにしても遺言は亡くなられる方の最期で最大のメッセージであり、何よりも尊重されるべきものであり、愛なのです。
何者でなくとも
はじめまして、何者でもない私です。
振り返れば私は私を取り囲む人たちがどう動き何を求めているかを第一にずっと生きてきたように思います。
悪く言えば人の顔色を見てそれに沿って望まれる言動をしてきたということで、現在も相変わらずそんな「他人軸」で生きています。
しかし、そんな私にしっくりきた仕事との出会いが随分昔にありました。
それは弁護士の「秘書」。手堅い裏方です。ぴったりでしょう。
右も左もわからない頃はどうしようもない情けなさでしたが、仕事がわかってきた頃には弁護士が次に求めるものを用意することも得意になりました。
そして、「誰」が「何故」そう考えるのかを気にする「他人軸」な性格がとても役に立ちました。
一般の人は法律的な思考で毎日生活をしているわけではありませんから簡潔に法的なことだけ話すよりも感情的な話が多いですね。当たり前です。
それに寄り添いながら丁寧に記憶喚起してもらい、聞き出し、分析し、現実に「何をした」のか「どうしたい」のか
その方の立場に立ち「何故」から感情ではなくやった「事実」を導きだします。
田村由美さん原作のミステリー漫画『ミステリと言う勿れ』の中で
「真実は人の数だけある。でも事実は一つです」という名台詞があります。深いですね。
民事裁判では原告・被告の、刑事裁判では加害者・被害者のそれぞれの真実がありますから
それらの言い分と証拠を積み重ね、誰の真実が一番矛盾なくひとつの事実に結びつくのか弁護士や裁判官は真剣に判断します。
その際の判断基準が『法律』であり、そんな『法律』に携わり数々の事件に一喜一憂しながらなんと気づけばもう28年経っていました
(途中不動産業に興味が湧きあがりよい実務となりました)。
そして今、定年と言ってもよい年齢に達し、この期に及んでこの臆病者の私が行政書士事務所をひとり開業しようとしていますがどうしたものでしょう。
はてさて私の舞台はどんなものとなるのでしょうか。いずれにせよ『法律』の世界で最後まで生きようと決意した自分を信じています。
ひとりでも多くのあなたに寄り添えますように
それではまた…。